Blue Blue
―― 信じているから この海の何処かで・・・・ 「フレア様〜?どちらのおいでですかあ!」 オベル王国特有の南国の天気も長閑な空の下に若干気の抜けたような声が響く。 「父上?どうされたのですか?」 父譲りの同じくどこか気の抜けたような声を掛けられて、父上ことセツは振り返った。 「おお、デスモンド!お前、フレア様をお見かけしなかったか?」 詰め寄るように言われてデスモンドは困ったように首をかしげた。 「いえ・・・・生憎、書庫にいたものですから。」 「ああああ、なんということ。ミドルポートの貴族の方がわざわざフレア様を訪ねていらっしゃったというのに〜。」 頭を抱えんばかりのセツの後ろを笑いをこらえながら足早に数人の女官が通り過ぎる。 このオベル王宮に使える者なら誰でも、フレアがデスモンド同様に父のリノ・エン・クルディス王にそっくりでちっとも王宮にじっとしていないことを知っている。 だからフレアがいなくなるなんて、日常茶飯事。 その度にセツが頭を抱えているこの光景もまた、日常茶飯事なのだ。 父よりは少しだけ冷静になれるデスモンドは肩を振るわせながら通り過ぎた女官達を見送って苦笑する。 「父上。大丈夫ではないでしょうか。フレア様の事ですからそんなに長くは王宮を空けたりなさいませんよ。」 「そ、そうか・・・・?」 「・・・・・・・・・・た、たぶん。」 「頼りないのぉ。」 人のことは言えないじゃないか!・・・・とは、親孝行のデズモンドが思ったかどうかはともかく。 「だ、大丈夫でしょう。きっと、いつもの」 「哨戒だろうさ。」 ハの字眉をつきあわせていたセツ・デスモンド親子の背後から朗々とした声が聞こえて二人ははじかれるように振り返った。 そして背後に立っていた王宮に恐ろしく不似合いなラフな姿をした男を見て同時に叫ぶ。 「「王!!」」 「あー、今帰ったぞ。」 「い、今帰ったではありません!!3日もどちらにいらしたのです!?群島連合の書類が山積みになっておりますぞ!!」 リノ・エン・クルディスとは頭2つ分ほど違うだろうに、まったくひるまずずずいっと詰め寄ってきたセツにリノは肩をすくめた。 「まあ、その・・・・」 「言い訳は結構!それよりもさっさと書類の決裁をして下さい!さあ、行きますよ!!」 「ち、父上。それは失礼なのでは・・・・」 「お前はだまっていなさい!書類は王した裁けない物なのですよ?さあさあさあ!」 「わーかった!わかった。やるから。ところでお前はフレアを探してたんじゃねえのか?」 「誤魔化しても・・・・あああ!そうですよ!フレア様です!フレア様!」 途端におろおろしだすセツに苦笑しながらリノは言ってやった。 「だから、あいつはいつもの哨戒任務だ。港で会ったからな。」 「港でお会いになった!?なぜお止めしないのですか!?」 「いちいち騒がしいやつだな。」 呆れたようにため息をつかれて憮然としたようにセツは黙り込む。 そのまじめな反応に少し微笑してリノはぽんっとセツの肩を叩いた。 「止めても無駄だな。フレアを知ってる奴なら誰でもそう思う。」 「で、ですが・・・・!」 「だろう?デスモンド?」 「は、はあ、まあ・・・・」 「何を同意しとるんじゃ!!」 父に叱られて小さくなるデスモンドを見てリノ・エン・クルディスは豪快な笑い声を立てた。 そしてふっと表情を曇らせると視線を王宮の外 ―― 石造りの村のむこうに輝いて見える海に向けてぽつりとつぶやいた。 「・・・・それに、今のあいつが海に出ることを止められる奴はいないだろうからな。」 「?」 「?それはどういう・・・・?」 顔を見合わせたセツ親子にくるりと背を向けてリノは肩越しに手を振った。 「で、セツ。その書類とやらは?」 「あ!!そーですよ!しっかり執務室の方に用意してございますからね!まずはミドルポートとの商業協定についての見直し書類と、モルド島の観光開発の嘆願書類に目を通して頂いてですね。次にナ・ナル島とイルヤ島の復興に関する議案を・・・・」 まだまだ延々と続きそうなセツの声を右から左に流して、リノ・エン・クルディスはもう一度、ちらりと海に目をやった。 先刻港ですれ違った時の娘の瞳が海に重なって見えてわずかについたため息は、生憎、しゃべり続けているセツの耳には届かなかった。 オベルの近海はその抜けるような空を映してライトブルーに輝いている。 その波を切って進む一艘の船の船尾にフレアは佇んでいた。 真っ直ぐに、まるで何かを見つめているような瞳で微動だにしない。 と、ふいにフレアは背中に気配を感じて振り返った。 「ウェンデル?どうしたの?」 気づかれたのにびっくりしたのか目を見開いて固まっている見張り見習いの少女にフレアは笑いかけた。 「気がついてたのか?」 「ええ。気配がしたから。どうしたの?何かあった?」 「え?あ、ううん。そうじゃないんだけど、さ。」 言葉に詰まってウェンデルは言いにくそうにフレアを見た。 「上から見てたらフレア様・・・・ずっと船尾にいて前ばっかり見てるだろ?何かあるのかなって、気になったから。」 その言葉にフレアは少し驚く。 「そんな風に見えたかしら。」 「うん。」 「そう・・・・別に何かあるわけではないのだけれど、ね。」 そう言ってフレアは視線を海に戻した。 そして秘密を打ち明けるようにそっと、言った。 「・・・・探している人がいるから。」 「え?」 意味がつかめず聞き返すとフレアはクスリと笑った。 「ねえ、ウェンデル。この海は綺麗ね。穏やかで、暖かくて。」 「え?あ、うん。」 急にがらっと変わった話題について行けずにウェンデルは首をかしげつつ頷いた。 「オベルは南国だからな。比較的海が安定してるんだって兄貴が教えてくれた。」 「そうね。・・・・でも」 あ、同じだ、とウェンデルは思う ―― さっき見張り台の上から見たフレアの真っ直ぐな瞳。 何かここではない酷く遠くを見ている瞳。 「・・・・エルイールの近海は、こうじゃなかったわ。」 「エルイール・・・・」 それはウェンデルにとって忘れられない名前だ。 ウェンデルだけでなく、先の群島諸国とクールークの戦争に巻き込まれた者なら皆、忘れられるものではないだろう。 しかしウェンデルにとっては恐ろしかったイメージがつきまとうその地名を、フレアは懐かしむように目を細めて言う。 「あの海はブルーじゃなくてダークブルーだったわ。・・・・漆黒の影を纏ったダークブルー。」 (・・・・綺麗・・・・) ふと、ウェンデルの頭にそんな言葉がよぎった。 そのぐらい語るフレアは綺麗に見えた。 キラキラと波間を跳ねた光が彼女の周りで戯れ、風が梳くようにフレアの髪を撫でていく。 なにより、柔らかく細められて遠い遠い『誰か』を見つめるその瞳がどんな宝石でも比べ物にならないと思えるぐらいに綺麗に見えた。 それはきっと ―― ウェンデルはぎゅっと手のひらを握った。 その事に気がつかず・・・・囁くようにフレアは言った。 「ダークブルーで・・・・深くて暗くて、底が全然見えないの。」 「フレア様・・・・何の話を・・・・」 絞り出した、という感じの声にフレアは驚いて振り返って、困ったように微笑んだ。 気の強いことで有名な見張り見習いの少女が今にも泣きそうな顔をしていたから。 「ごめんなさい、そんな顔をさせるつもりじゃなかったの。」 「・・・・でも・・・・」 「大丈夫よ。」 上目遣いに見上げてくるウェンデルにフレアはにっこりと笑って見せた。 「大丈夫。海は裁きを下すけど、それは厳しい物ばかりではないはずだわ。」 まして海に愛された『あの人』ならなおさら。 そう信じているから、真っ直ぐな目で海を見つめていられるのだ。 何処かで。 かならず何処かで生きてきっと。 「・・・・会えるわ。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ウェンデルが沈黙でしか答えられなかったのはフレアの瞳を前に何もいう言葉をなくしたからだ。 『誰か』との再会を疑ってもいないその意志の強さに。 「さ、そろそろ見張り台にもどらないとニコが心配するわ。」 「え?でも・・・・」 ウェンデルが何か言いかけたちょうど同じタイミングで船首の方からニコの声が流れてきた。 フレアは笑って軽くウェンデルの背を押す。 「さあ、こんなところで油を売っていないでいかないと。ね?」 「・・・・・うん」 少しためらった後、たっと駆けていくウェンデルを見送って、フレアは再び海に目を戻した。 広がる海は美しいライトブルー。 けれどフレアがいつも見つめるその先にある海は。 「ダークブルーの海、か。」 我ながらいいたとえだったと思う。 底が見えない深い暗い海 ―― 何を考え、感じていたのか最後まで本当に知ることができなかった『あの人』。 「でも・・・・このままにするわけにはいかないのよ。」 ダークブルーの海をそのままに懐かしむには自分の中焼き付いた面影が鮮明すぎるから。 第一、言うべき言葉もフレアはまだ言っていないのだ。 だから 「―― 信じているわ・・・・」 淡い囁きをすくった海風は軽やかに北へと駆け抜けていった・・・・ この海の何処かで いつか必ずもう一度、貴方と巡り会う ―― 〜 END 〜 |